【Z世代の特徴】木を見て森を “あえて” 見ず

Culture & Trend

『ファッションとしてバイセクシャルを語る人と対峙すると、僕はその人を否定するし、時には “差別” する。』

『バイセクシャルを否定したいわけじゃないし、反ジェンダー論者なわけでもない。』

『その人を、ただ僕の人生と “区別” しているだけなんだ。』


ー Z世代へのインタビューコメント抜粋

なぜ「木を見て森を “あえて” 見ず」が有用なのか

ジェンダーへの理解” を深めるには、知識集積や寛容さ、議論が重要なのだろうか?

仮に、その知識集積や議論を経て”ジェンダーへの理解”を極めたのだとする。その時あなたは、対峙する相手を「カテゴリーという名の “森” 」に閉じ込めてしまってやいないだろうか。
そもそも私たちは、SDGs 第5の項目「ジェンダー平等という “森” に、すでに閉じ込められてしまってはいないか?相手の背後にあるもの、その人の歴史・人生観を、見て見ぬふりしてやいないか?

ここではまず、ジェンダー問題とは離れるが、そのようにあまりに先入観や思い入れに消費者が浸り過ぎてしまっている2事例を紹介したい。
木を見て森を見ず」は枝葉末節、細かな目の前のことに気をとられ大筋、大局観を失ってしまっていることを指す故事成語だが、以下2事例ではいずれも、「自分の『こうあるべきだ』」という “” に目を目を向け過ぎている。

追って引き合いに出す2人のZ世代から聞き出した言葉こそが、この記事のタイトル【木を見て森を “あえて” 見ず】なのである。
2事例を見た後に、なぜこの視点が有用なのかを解説していこうと思う。

事例① – Koki, さんのモデル起用

今年3月、Koki, さん(18)が化粧品ブランド「Estee Lauder – エスティローダー」のグローバルスポークスモデルに起用された。木村拓哉と工藤静香の元生まれ数々のブランドの広告塔として活躍し、今回のエスティローダーのモデルはなんと日本人初という快挙でさえあった。

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しかしながら、Instagramの周知投稿のリプライ欄では『ブランドと不相応だ』とモデルに向け感情任せのアンチコメントがつらつらと並んでいる。
アンチコメの矛先にあるのはkoki,に対する高齢ユーザーからの嫉妬心だ」という考えもあるようだ。

事例② – 「さくら」ミュージックビデオ(2021年 ver.)

ケツメイシのメジャーデビュー20周年を記念した「さくら」ミュージックビデオ(2021年 ver.)では、『初作のクオリティに及ばない』とこちらもアンチコメントで溢れる始末となっている。

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一方、この「さくら」2021年ver. のショートフィルム <前編> ・ <後編> のコメント欄はなんとまあ賞賛の声で満ち満ちている。ともすれば『純粋にクリエイター陣に問題があったのではないか』と言えるかもしれない。
しかしながら、批判されている主要ポイントを探るに、それはMVストーリー上のヒロインの『K-POPアイドルになりたい!』という発言にある。

もしもそれだけが不満なのであれば、今のZ世代が夢見る職業を知って欲しい。今やそれは、Z世代女性が将来なりたい夢の第一位はインフルエンサーなのだから。

“森” ばかりに目を向けるべきではない

“森”とはポジティブにいえば大局観だが、以上の事例に見る “森” とは固定観念やカテゴリー性などのステレオタイプ、『これはこうあるべきだ』という勝手な思い上がりと侮蔑することさえできる。

相対する “木” は、対峙する事象(それがコンテンツであれ企業であれ人であれ)のありのまま全てに集中すること。全てというのは、眼前にある対象が、その状態に至った背景・歴史・理念・醸し出す雰囲気までを包含する。

なぜ “森” ばかりに目を向けるべきではないと言えるのかというと、
「木を見て森を “あえて” 見ず」というスタンスを実践できれば、”どうして?” を引き出すことができるからだ。

“どうして?” を引き出すことができるということは、あえてステレオタイプや経験則・固定観念にすがらず(=森をあえて見ない)、眼の前に迫る対象のあらゆる点を判別しようがないからである。

「〇〇のような点が気になったけど、なぜそのような結果になったのか?」

『そこには … という理由があるんです。』

「なるほどそういう背景・想いがあってこうなっているのか!」

そうすれば、まず理解を進めることがスタート地点となり真っ先に浮かぶ感情が、”疑問” となることだろう。
… こう言葉で簡単に言えはするものの、「木を見て森を”あえて”見ず」、つまりは先入観やステレオタイプの介入を意図的に遮断し眼前にある対象の理解のみに集中するというのは極めて至難である。

今春より新社会人となった’98年生まれのZ世代とのインタビューで、「木を見て森を”あえて”見ず」の観念を教えてくれた彼らは、意図することなくこれを実践できているようだった。
というのも私は、インタビュー中に自然な会話を装って私自身のセクシャリティを彼らにアウティングしたのだが、その時の反応がまさに「木を見て森を”あえて”見ず」だったのだ。

つまり、まず最初に彼らが私に問うたのは「なぜそう自認しているのか」という、彼ら自身の心に浮かんだ自然な”疑問”であったのだ。1997年生まれの私もZ世代の1人ではあるが、彼らの正直な反応には面食らった。
ここから、一口にZ世代と言っても、ミレニアル世代的傾向を持ち生まれたZ世代-初期(1996, 1997年)とZ世代-完成期(1998年以降)にはジェンダーのカテゴリー的理解に差があると、そう一つの憶測が立脚し得るのではないだろうか?

… 話がZ世代の区分に逸れてしまったが、とにもかくにも、彼らが最も目を向けるのは「どのカテゴリーに属しているか」ではない
彼らZ世代の目線の先にあったのは、森を構成する数多の木のうちの一つ、つまりは、バイだとかレズだとかブラウンかホワイトかだとか、カテゴライズする “森” ではなく、いま対峙している私自身(=”木”)だったのである。

インタビューしたZ世代の一人は、こうも話していた。

”ファッションとしてバイセクシャルを語る人と対峙すると、僕はその人を否定しする。”

“その時バイを否定したいわけじゃない。その人を、僕の人生と区別したいだけなんだ。”

ー Z世代へのインタビューコメント抜粋

再三だが、これを実践に移すことはかなりの至難だし世代によって打ち消そうにもアイデンティティとさえなりこびり続けている思念はきっとあることだろう。
でも、日々の心掛けで、可能な限りバイアスをゼロに近づけていくことはできるのではないだろうか?

…ただもしかすると、境地に達した頃には、次なる新世代「アルファ世代」がもうすでに台頭し始めているかもしれないが。

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